秋のことのは






秋 の 章 V


季語 1  枯草の露 (かれくさのつゆ)

〔枯野の露〕
露は四季にみられるのに、枯れ草は冬に限りますから冬の季語と思うはずです。
ところが枯れ草に結んだ露の方が重んじられ秋の季語なのです。
こんな例は、露寒、露霜のようにまだ沢山あります。



季語 2  秋の霜 (あきのしも)

〔秋霜(しゅうそう)〕
北海道や東北地方、それに高地では立冬前にも霜が降りますが、秋の霜には、降りるはずのない時節や地域の驚きの意が込められています。
ですから秋の早霜と春の遅霜は農家をこまらせるのです。



季語 3  晩秋 (ばんしゅう)

〔季秋〕
日常の風景の中に末枯れも見え、朝晩だけではなく日中にも肌寒さを感じる頃で、つくづく秋の終わりを実感できる季節を晩秋と言っています。
晩春と比べてどこか暗いイメージを持つのは、やがて来る冬への連想があるからなのでしょう。



季語 4  千秋楽 (せんしゅうらく)


謡曲「高砂」の終わりに、「秋の野に萩、女郎花、風に吹きしくが如き吹くべきや」この語が使われ、「秋」が「終」に、「楽」が「落」に通じるので、謡や歌舞伎、人形、浄瑠璃、相撲などの興行の最終日のことを言います。



季語 5  身に入む (みにしむ)

〔身に沁む〕
「身に入む」には、抽象的な骨身にしみる、しみじみと身に感じる、痛切に感じる、の表現と、具体的ま寒さや冷気を身に感じる、とする二つの使い方があります。



季語 6  燈火親しむ (とうかしたしむ)

〔燈火の秋〕
「灯火親しむ」は今や誰でも知っている日本語です。
秋になると涼気が快く感じられて、ともしびになつかしさを感じられるようになる。転じて、読書の好季節になること。



季語 7   秋の夜 (あきのよる)

〔夜半の秋〕
秋の暮れは、古来季節の秋の暮れと、秋の夕暮れの両義に使われてきましたが、現在は秋の夕暮れ時を差し、秋の終わりの方は「暮れの秋」という表現をとっています。
秋の夕暮れはあっという間にやってきます。その短くなった時間への哀惜の念が、この季語です。



季語 8   燕帰る (つばめかえる)

〔帰燕〕
北から渡ってくる雁や鴨と入れ替わるように、燕は南に帰って行きます。
燕は春の社日(しゃにち)のころやってきて、秋の社日の頃帰るところから、社日のことを社燕(しゃえん)ともいわれています。



季語 9   初鴨 (はつがも)

〔鴨来る〕〔鴨渡る〕
鴨は秋の終わりに早い時期から、四・五羽ずつが群れて飛来しますが、この中で一番早くやってくる鴨の群れを、日本人は発鴨とよんでいます。



季語 10   紅葉狩 (もみじがり)

〔紅葉見〕
紅葉を求めて山に入ることが紅葉狩りですが、これが敷衍(ふえん)して、北海道では今でも観楓会と称して炊事遠足を行います。東北の芋煮会に似た習慣です。



季語 11   野山の錦 (のやまのにしき)

〔秋の錦〕
秋の野山の彩を古人は、錦に喩えてこう表現しました。錦とはもともと、色々な色の糸によって文様を織り出した高級織物のことですが、後に比喩的に、色彩の鮮やか名なものに使われ、なかでも紅葉のたとえとして定着しました。



季語 12   山粧う (やまよそう)

〔粧う山〕
紅葉に彩られた秋の山を、擬人法で描いた季語です。



季語 13   秋の山 (あきのやま)

〔秋冷〕
秋の山は空気も澄んで、四季のうちで最も美しい景観をみせてくれます。
紅葉も山上から麓に下りてきて、その時々の山容を見せ、まさに「山粧う」の相応しい季節です。



季語 14   そぞろ寒 (そぞろさむ)

〔そぞろに寒し〕
なんとなく寒かったり、わけもなく寒かったりというのが「そぞろ寒」で、秋だけではなく早春の肌寒さにも使いますが、季語は秋に定着しています。



季語 15   うそ寒 (うそさむ)

〔薄寒〕
「うそ」は「薄」から転じた接頭語ですから、「うそ寒」と言えば、何となく寒いとか、どことなく寒いという風に、寒さを特定できない寒さを差しています。
私たちの日常使っている言葉の中では「うすら寒い」の語感がこの季語に一番近いかも知れません。